美味しい銀座

銀座のランチ・ディナー ・ エンターテイメント総合サイト

GINZA

Vol.6 エスコフィエ 平田之孝さん

「エスコフィエ」という名前を聞けば、フランス料理好きの方なら誰でもピンと来るはず。
店名はもちろん、あのフランス料理界の巨匠オーギュスト・エスコフィエが由来です。
ここは、エスコフィエ氏の調理法を受け継ぎ、守り続けているフレンチの名店です。また、もう一つの魅力は、ワインへのこだわりです。生産者がビンに詰めたそのままの健康な状態で、お客様に提供しているとのこと。おいしいフレンチと生きたワイン。この贅沢な組み合わせの極意、オーナーの平田さんにじっくりと伺いました。では、リレーインタビューの第6回、どうぞお楽しみ下さい。

1. いいワインは悪酔いしない!!
2. その秘密は大谷石の洞窟!
3. エスコフィエ氏のお墨付き
4. こだわりは水、そして……
5. 「ボルドーの騎士」受賞へ

 


 
1.いいワインは悪酔いしない!!
グルたま(インタビュー担当スタッフ:以下同):今日はよろしくお願いいたします。はじめからこんな事を申し上げてなんですが、笑顔が素敵で、ハンサムでいらっしゃいますね。
平田(敬称略:以下同):いえいえ…もともと人前に出るのが苦手で、はじめは腰がひけていて、店のスタッフまかせだったんです。ところが本物のワインに出会い、そのことをお伝えするようになりました。そして、お客様に何か響いているなと感じられるようになり、接する喜びが自信となって、積極的にサービス出来るようになったんです。 グルたま:なるほど、そのワインとの出会いについてお伺いします。
平田:アメリカに語学留学していた時に、大衆ワインのシャブリを飲みましたが、必ず体調を壊すんです。気持ち悪くなり頭痛もして、「これは体質的に合わないんだな」と感じました。ですから、はじめはソムリエやスタッフに任せっきりでした。

 

グルたま:それが、どんなきっかけで変わっていったのでしょう?
平田:平成2年に、ある出会いを通じて、「本来のワイン」を飲む機会がありました。するとどうでしょう、頭痛もしなければ気持ち悪くもなりません。「今までのワインはなんだったんだろう!」と感動しました。

 

グルたま:それはどういう事なのですか。
平田:ワインに限らず醸造酒は熱に弱いものです。生産地を離れた瞬間から変質するリスクが生じます。ですから、愛情を持って扱わなくてはならないんですね。僕の考えでは、そのワイン本来の良さを味わうためには、生産者と我々の距離を、いかに詰められるかが一番大切だ、と断定します。
ただ、現状では、ビンテージとか知識を語るのはうまい人が多いですが、本来の味を知っている人は余りいないと言えます。

 

グルたま:話は戻りますが、先ほどのワインではなぜ具合が悪くならなかったのでしょう。
平田:日本に輸入されるワインの約8割は、何の装置もないドライコンテナで運ばれて来ます。船で来ますから、赤道を2回通過しますね。アルコールの沸点は78.3度なのに、コンテナの内部は85度くらいになります。結果として、ワインは沸騰し、膨張し、そしてまた冷える過程で空気が入ります。この際、頭痛の種であるアセトアルデヒドが増殖してしまいます。アセトアルデヒドは、本来は香りの成分なので、微量は入っているのですが、増えてしまうことにより、これが体内に残って、気分が悪くなったり頭痛がしたりする訳です。日本人は、特にアルコール分解酵素が少ない国民ですからなおさらです。
一方、良心的な業者はどうしているかといえば、リーファーと呼ばれる定温コンテナで輸送を行なっています。これなら赤道通過のリスクは回避できます。ただ、港湾労働者の荷下ろし作業は休憩があり、この間に外に放置されるなど、熱のリスクが生じてしまいます。いまのところ港まで荷受けに行く業者はうちだけです。

 

グルたま:なるほど深いですね、よくわかりました。
平田:ご理解いただいた上で、ここからの話はもっと重要です。さて、ソムリエさん。テイスティングのポイントを三つ挙げると何でしょう?

 

グルたま:(ドキ~っ、また来たか)えっと…、香りと…。
平田:そうですね、香り、アタック(最初に口に含んだときの印象)、フィネス(のどごし)だと思います。その中で特に重きを置くのは何ですか。

 

グルたま:香りでしょうか。
平田:そうですね、ほとんどのソムリエはそう答えますし、実際、香りが大丈夫だからとテイスティングをしないで出してしまうケースもあると思います。ところが、ドライコンテナで運ばれたワインは、開けた時にすぐ香りがたって、その瞬間がピークになります。しかし15分もすると、リーファーで運んだワインの方が、香りが開いてきて、逆転するわけです。実際飲んでみて、フィネスで判断するのが正しいのです。

 

グルたま:そのポイントを是非!教えてください。
平田:ポイントは、旨み成分のアミノ酸です。これは、例えば25度の状態で30分置いただけでダメになるほど熱に弱いのです。実際、27度の屋外に40分間放置してから温度を下げたワインと、同じワインで通常管理したものをブラインドテイスティングしてみると、屋外の方が美味しくないのは、はっきりとわかります。

 

グルたま:どんな感じになってしまうのですか。
平田:アミノ酸が熱で劣化すると、アクロレーン(直訳で苦み)という、いやな感じの“えぐみ”に変質します。ここで判断出来ます。ただ知らない人は、このえぐみを特徴と捉えてしまい、「力強い」などと言ってしまったりするので、要注意ですよ。本来、状態のいいワインは、きれいな余韻で、酔いにくいものなのです。

 

グルたま:今度、ぜひこちらのワインをいただきに来ます!

 

 

 
2.その秘密は大谷石の洞窟!
平田:以前に、アルザスとブルゴーニュの造り手が見えた時(来日した年は違いますが)に、彼らの造ったワインを出そうとしたんですね。ところが、ラベルのビンテージを見ただけで、「そのビンテージはもうダメになっているからやめましょう」と言うのです。「そう言わずに味わってみて」と言ってお出ししたら、とてもいい状態だったのでビックリしていました。
グルたま:それは、保存方法が現地よりもいいということでしょうか。
平田:その通りです。 グルたま:その秘密を教えていただけますか?
平田:はい。この店も株主になっている「シュヴァリエ」というワイン輸入商社が、三田にあります。太田悦信さん、僕らは先生と呼んでいて、実際に彼の主宰する「シュヴァリエ会」という勉強会に通っていますが、その方が高尚な理念の元、本物のワインを飲みたいという個人株主を募って始めた会社です。ここは、良い石が切り出される事で有名な栃木県の大谷にワインを30万本持っています。洞窟をそのままセラーにしていて、ワインの熟成をさせています。

 

グルたま:30万本はすごいですね。
平田:普通の商社ですと、倉庫のワインはすぐに売ってしまいますが、ここでは「ワインは寝かせてナンボ」という考え方に基づいて熟成を重ねています。実際、いいビンテージのワインは、アルコールがしっかりしていて酸も多い、出来たときは飲みにくいんですね、ここでは10年先を見据えています。

 

グルたま:その大谷石の洞窟が良いのですね。
平田:ポイントは大きく二つあります。一つは湿度、夏は100%、冬でも95%あります。二つ目は、微妙な四季の温度変化があることです、これは、この洞窟が、地下6メートルに存在することと無関係ではないでしょう。夏は16度、冬は10度くらいになり、この間を上下します。一定温度ですと、これは単なる「保管」ですが、微妙な四季の温度変化は、「熟成」を進行させます。

 

グルたま:そちらで扱われているワインも厳選されているんですか?
平田:ボルドー以外は、手摘みが基本です。つまり、房をどれだけ思い切って捨てられるかがポイントです。①ブドウ樹になっている時点で選別出来る、②かごからトラックに積む際に選別出来る、③トラックからベルトコンベアに乗せるときにも選別出来る、というように、3回選別のチャンスがあります。逆に、ネゴシアン(ワイン商)ものは収穫量が必要ですし、樽でも大量に買っています。カビや未熟な品質のものも混じっており、これらを取り除くために遠心分離器やフィルターを使用するんですが、これだと“旨み成分”も引っかかってしまうんです。

 

 

 3.エスコフィエ氏のお墨付き
こだわりは水、そして…… グルたま:今度は、お料理について伺います。まずは、お店の歴史についてですが。
平田:うちの創業は1950年(昭和25年)です。もともと父は、ニューグランド(ホテル・ニューグランド)で修業しました。当時のフレンチの主流は、東京會舘かニューグランドという時代で、ニューグランドが東芝ビルの上に出てきたときに、帝国ホテルのコックも勉強に来ていました。
グルたま:お父様が、銀座で開業なさったのですね?
平田:父は1933年(昭和8年)、18才でニューグランドに入り、戦争に行って、1948年(昭和23年)に、銀座3丁目の軒先を借りて、洋食屋を開きました。二年後の1950年(昭和25年)に、この場所に来ました。ここで57年やってきました。 

グルたま:半世紀以上も、お客様の支持を受け続けて来られたのですね。
平田:経営姿勢は、「何事も本物志向で!!(本物にこそ真理あり)」。ところが、「まともなことをやっていると儲からない」ということです。

 

グルたま:おっしゃるとおりです。なかなか難しいですね。料理のスタイルはいかがですか。
平田:フレンチの神様オーギュスト・エスコフィエのスタイルを継承したということで、思い入れを持って、父がその人の名前を店名にしました。実は、16~17年前に、エスコフィエのお孫さんが、「僕はエスコフィエですが」と言って、突然訪ねて来られたんです。

 

グルたま:どうなったんですか?
平田:そのエスコフィエ氏が、翌日ランチを召し上がって下さって、「この名前を使ってもよろしい」と、お墨付きを頂きました。

 

グルたま:良かったですね!
平田:本当にそうですね。そのお孫さんは、お祖父様が偉大すぎて、後を継がず、電気関係のお仕事をされていたとのことです。あと、フランスのエスコフィエ博物館の館長もされていましたね。僕の信条は、何事も本物から入るということです。ダイヤの会社に新人が入ると、よくある木箱に本物のダイヤをたくさん詰めて一週間見せて、その後偽物を混ぜると、たちどころに判ってしまう。逆はあり得ません。僕にとってラッキーだったのは、一度よくない経験をして離れていたから、素の状態でいいものに会えた、ここがスタートになったことです。

 

 

 4.こだわりは水、そして……
こだわりは水、そして…… グルたま:ここで、こだわりの逸品をご紹介いただきたいのですが。
平田:僕のこだわりは「水」です。水が商品になる以前の話ですが、銀座のいろいろな店で食べ、水道水を飲んでいますが、どうもおいしくない。これは一つには、水に問題があると思うんです。銀座の雑居ビルは、大抵屋上に貯水槽があり、そこに貯めた水を各お店に供給しています。この間、老朽化した水道管などを通るリスクが高く、水そのものを飲んでもはっきり言ってまずいです。これをなんとかしたいと思い、NASAの開発した逆浸透膜を使った「スーパーウォーター」を採用したわけです。
 グルたま:NASAですか!
平田:これは、逆浸透膜を使って、ゆっくりと一滴一滴濾過するシステムで、逆にこの方法でないと、発ガン性が疑われているトリハロメタンやダイオキシンは取り除けません。スーパーウォーターは甘い感じがします。
実験してみましょう、このライトがつくと言うことは、電流を伝達する物質が混入していると言うことですが、こちらはほら、つきませんね。つまり完全な純軟水ということです。

 

グルたま:なるほど~。
平田:その次にこだわったのが「コーヒー」。レストランにとって、締めのコーヒーが美味しくないのは致命的ですね。そんな時、ダイレクトメールで、「コーヒー工房」堀口さんのご案内を頂いたんです。堀口氏は、私にワインの弟子入りをしたという事もあって、コーヒー業界で、始めてリーファーを使って豆を輸入したり、コーヒー豆にテロワールを持ち込んだ方です。その豆もオークションで落とした、レベルの高いものです。値段的にはコーヒーの相場の変動に左右されないほど価格的に高いものです。うちに来た大手コーヒーメーカーのブレンダーの人は、20年ぶりにこんな豆を見たといっていました。

 

 

 5.「ボルドーの騎士」受賞へ
「ボルドーの騎士」受賞へ グルたま:話は変わりますが、平田さんの子供の頃のお話を。
平田:私は浜っ子でした。父は横浜から通っていましたが、仕事がら店に泊まってしまいますから、たまに遅くに帰ってくるときが楽しみでしたね。一緒に夜食の鍋焼きうどんを食べたりした思い出があります。
 グルたま:お店と関わったりしたのは、いつ頃ですか?
平田:中学の頃からクリスマスなどは手伝っていました。子供の頃から店を継ぐこと以外、将来の発想はありませんでした。それでも、剣道をしたり、青山学院時代はテニス同好会に入ったりと、まあ、青春を謳歌していましたね。

 

グルたま:お料理はそれからですね。
平田:卒業後、プリンスホテルスクールにしばらく通いましたが、すぐにアメリカ留学に行きました。実は、アメリカには婚約してから行ったものですから、帰りたくて2~3年いるつもりが、半年で帰ってきました。25才で結婚、35才にはこの店の責任者に就任しました。

 

グルたま:スタートから順調でしたか。
平田:そうでもないですね。渋谷のパルコに出店した時は、下の階に入る予定のボーリング場が、大衆食堂に変わって苦労したり、「紫カントリーすみれコース」のレストランの営業をみたり、「花いちもんめ」のフランチャイズを出したり…。いろいろと、新しい試みもやらせてもらいましたよ。
僕の立場は、オープンするときの切り込み隊長。こう見えて現場が大好きで、単純作業も苦じゃないので、研修を終えた店長クラスより、よく動いていたんですよ。
1998年にはワインを楽しんでいただこうと、6丁目に「カーヴ・エスコフィエ」を出店しました。おかげ様で、ワインの反応はとても良かったです。

 

グルたま:ところで、その胸のバッジはなんでしょう?もちろん、ワインとかかわりのあるものですよね?
平田:一つは1999年に貰った「レ・コンパニヨン デュ ボジョレー」、こちらは2003年に貰った「ボルドーの騎士」の称号です。これは、広告塔的な形で頂いている方もいらっしゃいますが、僕の場合は、時期的にロバート・パーカーが「日本はワインの墓場だ」というようなことを書いていた頃、たまたま幹部がうちにお見えになりました。ワインを飲んで下さると、「素晴らしい!あなたは、フランス文化の架け橋を立派に果たしている」と言って、招かれた上でいただきました。彼らはプリムールの当日にもかかわらず、僕一人のために、午前中にこの儀式をして下さいました。嬉しい限りでしたね。

 

グルたま:素晴らしい!大変価値ある称号ですね。
今日は、長いお時間丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。真摯な姿勢、大変勉強になりました。私たちも質のいいワインを提供できるよう、頑張りたいと思います。

COPYRIGHT©GINZA RYOINKUMIAI ALL RIGHTS RESERVED.
ページトップへ