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Vol.7 銀座鹿乃子 小川敦弘さん

Vol.7 銀座鹿乃子 小川敦弘さん 銀座はグルメの街と言われますが、スイーツも銀座は超一流。
銀座の場合、スイーツというより、しゃれた和服姿の女性が甘味処で和んでいる姿の方が粋です。そんな素敵な女性達にお目にかかるのが、ここ銀座5丁目にある「銀座鹿乃子」。
戦後間もない昭和21年創業の、銀座では人気の甘味処です。3代目オーナーの小川さんは、まだ40代ですが、とても真面目な方でした。素材の話、材料へのこだわりなどなど、じっくりと伺いました。では、リレーインタビューの第7回、どうぞお楽しみ下さい。

 

1. 9種類の砂糖を使いこなす甘さのマジック
2. 長靴を買って入った跡継ぎの道
3. 銀座のど真ん中に店を造る
4. 「金つば」は「銀つば」?

 


 
1.9種類の砂糖を使いこなす甘さのマジック

グルたま(インタビュー担当スタッフ:以下同): 本日はよろしくお願いいたします。お忙しい中恐縮です。今日は土曜日ですが、本当にお客様一杯ですね、特に女性が多い。
小川(敬称略:以下同):お天気がいいと、いつもこんな感じですね。女性は7~8割でしょうか。

 

グルたま:女性向けに気をつけていることはありますか?
小川:女性に限らず、来店されるお客様は、飾り付けに惑わされないで本来のものを見極める力をお持ちのように思います。

 

グルたま:なるほど、このお仕事で銀座のお店にお話を伺うと、決まって素材の話題になりますが、どのような点に気を配っていらっしゃいますか?
小川:ご指摘のとおり、素材感は一番大事にしています。小豆ですが、岡山の風味のしっかりした物を選んで使用しています。高級な小豆の産地としては丹波も有名ですが、供給の安定性などを考慮して決めました。そして、この豆の素材感を忠実に引き出すために、水はちょっと特殊な水を使っています、これはNASAの開発した技術ですが、逆浸透膜を使って、水の分子を通常の水より細かくしたものです。これだと豆の隅々まで入り込んで行ってくれるので、膨張率がすごいんです。肝腎なことは、豆を膨らませて、ふっくら仕上げることですからね。しかも余分なミネラル類が取り除かれているので、素材の味を邪魔しません。

 

グルたま:なるほど、やはり奥が深いですね。さて豆、水と来ましたが…。
小川:次はお砂糖ですね。皆さんご存じの種類は、上白糖、グラニュー糖等だと思いますが、うちでは9種類の砂糖を商品ごとにミックスして使用しています。

 

グルたま:そんなに種類があったのですか!
小川:黒糖、和三盆、一洗糖、中双糖、三温糖、ざらめ糖、鬼ざらめ糖、グラニュー、上白といった感じですか。粒あんではコクとすっきり感を出すために、三種類をブレンドしています。他にも、商品によって独自の配合で使用しています。詳細は企業秘密ですね(笑)

 

 

2.長靴を買って入った跡継ぎの道

グルたま:「鹿乃子」さんの歴史について伺いましょう。
小川:創業は昭和21年、焼け野原の中で家族を守っていくために始められた、と聞いています。当時の闇市で、砂糖や豆は調達出来たようですが、店舗は本当に「ほったて小屋」からの始まりでした。当初のヒットメニューは、かき氷だったそうですよ。

 

グルたま:今のようなメニューになったのはいつ頃ですか。
小川:実は創業は吉田家、その長女と結婚したのが私の父で、今販売している商材のほとんどは父が作った物です。

 

グルたま:屋号にもなっている「鹿乃子」もお父様がお作りになったのでしょうか?
小川:実は屋号の「鹿乃子」は、吉田家がもともと『鹿嶋』で和紙問屋を営んでいて、創業者はその家の子供ということで、『鹿嶋』の子…「鹿乃子」としたわけです。お菓子の「かのこ」は、京文化から伝搬して江戸で駄菓子になった物ですね。のちに屋号が「鹿乃子」だから、これも作ろうかと言うことになったのです。

 

グルたま:お父様が、今のお店の礎をお作りになったのですね。どんな思い出がありますか。
小川:そうですね。例えば、包装紙にしても、夜遅くまで真っ黒な紙にちぎった色紙を並べて切り紙を作ってデザインしたりしていましたね。これがそのまま、今の包装紙の原型になっています。後は、とにかく帰りが遅くて、家にいない父でした。たまに店に会いに行くのですが、銀座ですので、子供ながら半ズボン、蝶ネクタイ、革靴で連れて行かれた記憶があります。銀座はそういう街だったんですね。

 

グルたま:いつ頃から後を継ごうと、お思いになったのですか?
小川:実は、継ぐ意識はなくって、父からもやれと言われた事はありませんでした。同族会社で、いろいろ苦労した事もあり、それを背負わせたくなかったのかもしれません。でもいよいよ最期の時に、なぜか私から「継ぐよ」と言ってしまい、父も「うん」とうなずいて死去したんです。これが15才の時の話です。そして22才になって、父の片腕だった人が独立するのをきっかけに、気持ちが固まりました。まず長靴を買いました。そして9年間工場勤務を続けて仕事を覚えたのです。

 

グルたま:いいお話ですね!なんだかウルっとしてしまいました。工場で覚えた極意はありますか。
小川:豆を炊くのは銅鍋が最適なんですね。そしてあげ際を見極められるかが、一番大切です。その日の気温で炊きあがりの時間も変わります。また、豆の状態でも大きく変わります。北海道産の同じ豆でも、北海道の倉庫に保管された物に比べて、東京に持って来て倉庫に保管された物では、炊き時間は倍もかかってしまいます。北海道で保管された物の方が扱いやすいんですね。

 

 

 
3.銀座のど真ん中に店を造る
銀座のど真ん中に店を造る

 

日本のイメージの中でシンプル、素材は無垢、白黒の漆喰と格子デザイン

グルたま:今のお店は、いつ頃出来たのですか。
小川:ここは平成2年に建てました。構想を練るために、半年間かけて世界中を回って来ました。

 

グルたま:すごい!どんな経験が出来ましたか?
小川:パリのシャンゼリーゼでは、カフェのメッカだけあって、お客様がみんな道を向いて座っていますね。実際彼らを見ていると、「見られたい」、「見られて気持ちいい」のでは、という印象でした。ここの二階の座席は、すべて外を向いていて、外から見ると、窓枠はなく、一つの絵画のように見えるようになっています。見られる楽しさと、銀座の景色の楽しさを両取りして見ました。

 

グルたま:内装は和のイメージですが、ここには何か…。
小川:そうですね。最期にローマに行きましたが、バチカンの石畳を見てみると、人が幾度も歩いたことで、へこんでいるんです。直接のひらめきではありませんが、シンプルな物はやはり飽きられないのではという事を思いました。これを持ち帰って、日本のイメージの中でシンプルな物はなんだろうと考えました。そこで、素材は無垢にしようと思いました。そして、今の白黒の漆喰と格子デザインに行き着いた訳です。

 

グルたま:海外での経験が生かされましたね。内装のデザインだけではなく、内面というか、運営していく上での考え方などは、いかがですか。やはり影響を受けましたか?
小川:世界を見て、経営に対する意識は高まりましたね。いろいろな博物館に行って、日本の良い物を目にする機会があり、それは圧倒されました。世界の中でも、日本の文化はやはりすごいなと。でも日本にいて、ただ日本の良い物を置いても、お客様にアピール出来るでしょうか。こう考えた時に、銀座という街に店を構える以上、お客様にいい思い出をつくってもらう責任があるんだ、ということに気がついたんです。そのためには、商材だけじゃない、サービスも、雰囲気も、しっかりするのが当たり前というか、それが基本です。その上で“価値観”を大切に提供した時、やっと納得していただけるのだと思っています。

 

グルたま:銀座に行く事自体ちょっと気持ちが高まりますからね。
小川:そうです、いい意味で敷居が高いんです。銀座は、訪れる側も迎える側も、高い意識を持っている、そんな街じゃないかと思います。

 

グルたま:お店も一新して以降、どんな新しい取り組みをされていますか。
小川:今、水出しコーヒーなどに挑戦しています。やはりかのこには、抹茶が合います。そこで、繊維、タンニン、香り、安定性などから、京都の物を採用していますが、豆の素材感が強いので、これをさらに引き立てる強い抹茶やコーヒーはどんな物だろうと検討しております。
また、従来からのメニューはあまり季節性がないのですが、旬の果物などを使ったり、「四季の菓子」といったテーマも具体化しています。

 

 

 4.「金つば」は「銀つば」?
グルたま:いろいろなお話しをありがとうございました。最後にお店の商品で「銀つば」というのがありますね、あれは「金つば」を、銀座だから「銀つば」としゃれてみたのですか?
小川:いや~実は、あ、まさにその通りではあるのですが。

 

グルたま:その裏のお話もあるのですね。
小川:ええ、最初は三越のマネージャーの提案で、「金つば」の検討を始めたんです。実物を持ってきてくれたときは、もっと美味しい物が簡単に出来そうな気がしたんですが、実際始めて見ると、焼き加減なども以外と難しかったです。なんとか出来上がり、金つばはおこがましいし、銀座だからと「銀つば」とし、ついでに商標登録をしようとしたんですが、ここで意外な返答が帰ってきました。

 

グルたま:それは?
小川:「金つば」はもともと「銀つば」という名前だったのです。しかも一般名称だから、登録は出来ないと。京都で生まれた元祖「銀つば」は刀のつばが昔は四角だったのを模して作られたお菓子で、素材も銀だったので「銀つば」という名前でした。ところが江戸に持ってくるときに、銀より金の方がいいだろうというので「金つば」になったんだそうです。

 

グルたま:ビックリなお話ですね。あらためて本日はお忙しい中ありがとうございました。
~実はこの後、グルたま達は、ちゃっかり「銀つば」を試食いたしました。小豆の風味がしっかりしていて、とっても美味!小川さんの素材へのこだわりを思い出しながら、いただきました~

 

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