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気まぐれインタビューその1(理事長編)

                         平成21年5月25日:月曜日〈曇りのち晴れ〉

 

 銀座にまつわるお話し、ちょっと小耳に挟んだお話しなど、聞き書きを集めてみました。
 第1回は、御歳79歳、石原理事長のご登場です。

 

 「みゆき通り」が実は「御幸通り」で制定は古い、というお話から。
 戦前(「いつの?どこの?」って聞かないでください。 1945年以前、ということで)からあった通りの名称についてお聞きしました。

 

理事長  「みゆき通り、並木通り、昭和通り、銀座通り(今は『中央通り』らしいけど、ボクらとしたら『銀座通り』 と呼びたいねえ)、この4つだけだと思いますよ。後はみんな戦後。」
 「今のシネパトスあたりかなあ、『三十間堀』という水路だったはず。」
 (この件については、また後日詳しく・・)

 

 江戸→東京という都市は、「お江戸八百八橋」と言われたほど水路が発達していました。
日本橋、京橋、新橋・・・「橋」のつく地名が多いのはそのためで、
現在の主な通りの半分は、水路だったワケです。

 

それからそれへと、子供時代のお話は弾み・・・

 

理事長  「今の高速道路の下がぜ~んぶ堀になっててねえ、ボート遊び(!)で銀座をぐるっと回れたんですよ。
 でもね、浜離宮まで。そこから先は外海だからね、あわてて引き返すの。漂流者になっちまうから(*^_^*)。」
 「家が今で言えば外堀通り(通称:電通通り)の8丁目にあったんだけど、あの辺りは何にもなくて寂しくってね。 市電(!)の駅から帰るときは遠回りなんだけど銀座通りを通るんですよ。
 毎日ずら~っと夜店が出ていてね。」

毎日ですかあ!?

 

理事長 「そう。でね、7丁目と8丁目の間まで来ると(現在の花椿通り辺りでしょうか?)暗いから、一目散に走って帰るの。」

 

 う~~ん、情景が浮かんできます・・・。『夜店』についても
              

                   to be continued……..        編集子M.

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