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家族と民族の歴史を伝える・・・中国料理「維新號」

                                                                             2010年7月 傘の手放せない季節です。

 

★今回ご紹介者の寿司処「銀座ほかけ」の矢崎馨子さんのお話:
「紀尾井町のお店(赤坂店)は、昔から家族の食事会や法要などの際に必ずお世話になっていました。先代の料理長にもとてもよくしていただいて。銀座本店は、小さい頃から祖母に連れられて行っていた記憶があります。『ここの支那そばがいちばん好きなのよ』と言っていました。」

・・家族ぐるみ、永年安心して行けるお店がある、というのは本当に幸せなことですよね。・・・
「私も自分が疲れているなあ、と思うとき、本当にたまに、ですけれど、“フカヒレの姿煮”を食べに行くことがあります。コラーゲンと元気を補給した~って感じがしますね。」

★「維新」という言葉の意味:当主の3代目鄭東耀さんのお話
 中国料理『維新號』の創業は、1898年(明治32年)にさかのぼります。

料理のルーツは中国浙江省寧波です。

当時は東京神田今川小路(神田神保町)に、付近に居住していた清朝(当時の中国)の留学生相手の食堂兼雑貨屋として営業していました。辮髪の留学生たちで賑わっていたのですよ。
 『維新號』という屋号は、その留学生達が、創業者(初代鄭余生氏)
と共に、康有為、梁啓超らの進めていた維新運動に共鳴して命名したものです。留学生達は日本の明治維新改革の成功と発展を目の当たりにし、何とか日本と同じ様に近代化したいと熱望し、その願いを込めて、自分達の集まる“飯屋”を“維新號”と名付けたのです。
 中国近代文学の父:魯迅の弟、周作人は日本での留学生活の中で、当店の思い出を書物に記しております。また、日本留学中の若かりし周恩来と蒋介石も、その後の中国近代史上の運命的出会いがあることも知らず、共に同じ時代に当店を利用していた記録がございます。

『維新號』ホームページ:

http://www.ishingo.co.jp/hp2/restorant/ishingo/ishingo.htm

 サイトトップページの写真のモダンな建物の一階は乾物の倉庫でした。1928年に銀座本店の住所に移転したときには1、2階の建物で、ビルになってから地下に入りました。 戦争まではね、上層部の人たちの接待のために、かなり高級な料理を出していたのです。ところが、戦後食料統制もあり、接待需要はもちろん激減しました。倉庫に残っていた、干し貝柱などの高級食材を何とか生かして新しい需要に応えられないだろうかと工夫して、現在でも人気のお土産メニューでもあるおまんじゅうができた
わけです。
 父(先代:勇昌氏)は、
「半年で有名にならなけりゃ、しょうがない」と言っていましたが、3か月は全く鳴かず飛ばず。でも、半年後には行列のできる店になりました。当時一個40円のおまんじゅうです。初任給が二千円ほどの時代でした。

・・・何十年も営業しているお店の歴史は、そのまま国や世界の歴史の
流れを眺めることにもなるのですね。・・・

 なんでも『ホンモノ志向』なのです。現在の料理長は15の年に新潟からやって来て以来、50年を務めていて、先代からのやり方をかたくななほどに守ってくれています。

 オススメの逸品:『東坡肉』(詩人:蘇東坡が好んだと言われる)
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 オーソドックスな味付けですが、非常に手間がかかっています。豚バラ肉の皮つきを、せいろで4~5時間蒸して油抜きをし、これを丸揚げにして香ばしさを出します。調味料でまた数時間煮込んだものを、注文を受けてからカットしてもう一度蒸し、鍋で煮つけて照りを出します。

「そこまで念入りにしなくても・・・」なんて言おうものなら、彼が
「いえ、ダメです。絶対にこのやり方は守らないと!」と許してくれません。歴史を身をもって知る職人は、本当に宝です。
「アナタには定年はないよ。」と常々言っているのです。

★味の原点・・・
東耀さん「七人兄弟の末っ子で、いつもキビシイ目に合っていまして(笑)ある時母が買ってきたビフテキをね、切り分けてみんなで食べたのですが、やっと小さな一切れにありつけて、美味しかったな~という思い出が強く残っていますねえ。」
4代目彬さん「祖父の家で子供時代を過ごしたんですけど、祖父自身が料理人ですから、手早くいろんなものを作ってくれました。春巻きも大好きでしたし、小さな赤貝をさっと蒸して薬味とごま油で味をつけたものがとても美味しかったです。今考えるとお酒のつまみですよねえ?」
・・・それはホントに美味しそう!ビールや老酒を飲みたくなりますね! メニューに載っていないのですか?・・・
彬「う~~ん、残念ながら(笑)職人の作る家庭料理って感じでしょうか?」

 ここ銀座本店は、通し営業(11:00~23:00アイドルタイムなし)をしていて、これは近隣の同業者たちにとっても、とてもありがたいことなのです。某理事長もお店の若い衆を連れて、遅いランチに良く利用なさっているとか。 たとえばお買い物の途中で小腹が空いたとき、「支那そばと春巻き」など、懐かしいメニューでホッとくつろげる、昔ながらの空間なのです。
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東「うちのメニューもですが、内装も40年近く、手入れ以外はほとんど変えていません。地方のお客様で、『何十年ぶりに寄ってみたけれど、雰囲気も味も昔のままで嬉しかった』と喜んでくださることは、良いことと解釈しています。 今は華々しくオープンしても数年たってパッとしないとすぐに止めたり形態を変えたり、ということが多いようですが、『家業』というのは、ひとつのことを信念を持って、10年20年と頑張って、ちゃんとした、認められる場所に作り上げていく、ということが一番大事なのではないでしょうか?」
「父がよく、『あんまり店を増やすんじゃないよ。本当に手塩にかけられる何店舗かだけがいいんだよ』と言っていましたが、デパートに出店をしたり、いろいろなパターンで営業を展開するようになって、あらためて『本当にその通りだなあ』としみじみ感じますね」

 「個であることの価値」・・・これは、インタビューを続ける中で皆さんが同じようにおっしゃることです。 組合サイトのテーマである「食の星座」・・・つまり、それぞれの店が、個性と主張を持ったプロの仕事をして輝いている星であり、その星たちが星座のように集まっているのが、銀座というところ・・・にまさに通じるものです。

東「うちの従業員たちはね、昔からみえているお客様と、ご注文の前に、まずは会話をしますね。で、後で必ず報告してくれるんです。『○○さん、ご病気以来しばらくぶりでしたけど、ご主人すっかり良くなられたみたいです。』『そう、それで何を注文なさったの?ふんふん、じゃあ食欲も出てきたんだね、良かった良かった』こういうやりとりが日常の習慣になってしまっている店ですよ。」
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 世界の歴史の中で、それぞれの国のたどってきた道を見つめながら、その渦中にいる人々がそれぞれに忘れられない故郷と家庭の味を提供しようと奮闘し続けたこと、そしてさまざまな事件や人の出会いの舞台となり続けること・・・銀座に居る(営業している)ということは、人生の出来事を身を持って体験することでもあります。流されつつ流されず、共感しつつ迎合せず・・・飲食店の歴史は、そのまま人間の歴史と言ってもいいのかもしれません。

 買い物の途中で、仕事の中休みで、遅いランチやハイ・ティーとして『維新號』に立ち寄られた方々は、今日も、数十年変わらぬ、日本人にとっても懐かしい中国料理の味を、ゆったりと堪能できることでしょう。

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