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石原理事長の『ひとりごと』 銀座の同級生はいま Vol.4

当時の同級生の家はたいていが銀座でいろいろな商いをする商家でした。

木造の二階建てあるいは三階建てという家屋が多く、一階で商売をして、二階は住まい、三階には住み込みの若い従業員がいたなど、職場が住まいでした。家の前の道路がまず遊び場でしたからね。しかし、級友のうちでいまも銀座で商売を続けている同級生はおりません。前述したように、戦争があって越していったり、戦後になってその商売は辞めてしまわれたり。戦時中は建物疎開ということが強制的に行われて、銀座のように建物が密集している繁華街では戦災が大きくなることを恐れて、建物を取り壊したものなんです。住んでいる家はもちろん、故郷がなくなってしまうわけですから戦争は嫌ですね。
その頃、うちは外堀通りから1本から1本入った8丁目にありましたから、そこから歩いてわずかな距離で泰明小学校まで通っていました。途中に、内藤クン(いわしや)の家によって誘って、一緒に登校していました。その内藤クンは7年前に亡くなって、寂しくなりました。

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